「ちいさいひと」という表現を耳にした事はありますか?
こんにちは。作業療法士の城戸です。
「ちいさいひと」とは、とある本のタイトルにもなっている、子供をあらわす言葉です。
「こども」という表現自体を、私は差別的と感じたことはありませんが
子供を一人の人間として尊重する事を強調するため、あえて「ひと」という表現をすることで、大人と子供の違いは体のサイズのみである、と伝えたかったのかな?と感じます。
本人の意思を尊重する。
本人らしい生き方をサポートする。
児童福祉の世界は、とても優しさで溢れています。
ですが、少し立ち止まって考えてみましょう。
本人の意思を尊重する事は、とても大切です。
ですが、例えば
『勉強は楽しくないから、昼休みだけ学校にいくようにしたい』
『学校より、家でゲームをしているほうが楽しい。だから家にいたい』
『〇〇先生は好きじゃないから、この授業はうけない』
などなど、子供発信でこのような意思がある場合。
どこまで本人の意思を尊重しますか?
基本的に、人は楽しい過ごし方ができれば幸せです。ですが、社会のモラルや責任・義務などの背景から
そうも言ってはいられない世の中です。
私たち、おおきい人々はある程度自分で判断して、人生の分岐の度に選ぶべき選択を続けています。
ですが、小さい人々は、その選択のすべてを、適切に行う事はまだできません。
意思を重んじるあまり、結果的に本人の為にならないような選択でも
目をつぶったりすることが、ないとも言い切れません。
抑えきれない愛情に身を任せ、なんでも願いをかなえてあげる事が、成長する機会を奪ってしまわないように一定の自制も必要です。
子供たちの、この先何十年という人生の責任を預かっているのは
今そばにいる『おおきい人々』なのだと思います。
子供たちの想いを受け止めながらも、毅然と対応しないといけないときもあります。
ついつい、お願いを聞いてしまいたくなる事、私たち支援者でもあります。
養育者であればなおの事です。
ですが、目の前にある育ちの種から目を背けることは
一周回った優しさの暴力とも捉えられます。
特に私たち支援する側の人間は、熱意を持ちながらも、必要以上にウェットな情動のみで物事をとらえないように自分をコントロールする練習が必要です。
少し前のブログでもお伝えした、自己の治療的応用に繋がります。
日々、難しさに触れながらも
楽しく、自分自身も成長できる。
障害児通所支援とは、本当に面白い職業です。
(利用児童、職員ともに、あと若干名だけ募集しております…★)
お問い合わせは、ホームページのLINEアイコンから、お気軽にどうぞ(^^)